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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)2042号 判決

原告 藤田藤太郎 外一一名

被告 国

訴訟代理人 長野潔 外一名

主文

被告は原告らに対しそれぞれ金三万円及びこれに対する昭和二十九年三月十九日からその支払のすむまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、申立

原告らは「被告は原告らに対しそれぞれ金五万円及びこれに対する昭和二十九年三月十九日からその支払のすむまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、被告は「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

第二、原告らの主張

一、訴外日本中国友好協会(以下「協会」と略称する。)は、昭和二十八年七月、同年十月一日から北京で開催される中華人民共和国(以下「中国」と略称する。)の建国記念祝典(以下「国慶節祝典」と呼称する。)に、我が国からも労農階級、文化人層、学者層、経済人層及び婦人青年層等から約十五名の代表を選び、これを国民祝賀使節として派遣し祝意を表し、もつて我が国と中国との友好関係を推進し、あわせて中国国民が従来から中国残留邦人の引揚帰国の件に関して協力をして来たことに対する感謝の念を示そうとの計画を立て、同月十五日中国人民保衛世界和平委員会(以下「和平委」と略称する。)にこの旨を通知するとともに中国側の賛同を求める旨の書簡を送つた。そして、これに対して同年九月八日和平委から「我が国各階層の代表が国慶節祝典に参列し、且つ中国各地を歴訪することを歓迎する。ついては、中国政府にその入国の許可を要請する都合上、一週間以内に代表の氏名、身分及び到着港を連絡されたい。」との返電があつたので、協会は直ちに緊急常任理事会を開いた上その決定に従い、日本労働組合総評議会及び日本産業別労働組合会議に対しそれぞれ労働者代表として一名宛、文化人会議に対し文化人代表として一名、日本教職員組合に対し教育者代表として一名、ブカレスト世界青年平和友好祭実行委員会に対し青年学生代表として一名、日本婦人団体連合会に対し婦人代表として一名、平和擁護日本委員会に対し平和友好団体代表として一名、部落解放全国委員会に対し部落解放団体代表として一名、日本農民組合主体性派及び同統一派に対しそれぞれ農民代表として一名宛、東京華僑総会に対し華僑代表として一名、在日朝鮮統一民主戦線中央委員会に対し在日朝鮮人代表として一名、貿易界及び水産界に対しそれぞれ経済人代表として一名宛の推薦方を依頼した。その結果、日本労働組合総評議会からは同会議長原告藤田藤太郎、日本産業別労働組合会議からは同会議議長原告吉田資治、文化人会議からは学習院大学教授原告清水幾太郎、日本教職員組合からは同組合組織部長原告槇枝元文、ブカレスト世界青年平和友好祭実行委員会からは全日本学生自治会連合会中央執行委員原告大谷喜伝次、日本婦人団体連合会からは同会評議員原告丸岡秀子、平和擁護日本委員会からは同委員会常任委員原告柳田謙十郎、部落解放全国委員会からは同委員長中央常任委員原告朝田善之助、日本農民組合主体性派からは同組合委員長原告八百板正、同統一派からは同組合委員長訴外久保田豊、東京華僑総会からは在日華僑各界会議常務委員訴外劉明電、在日朝鮮統一民主戦線中央委員会からは同委員会議長訴外李鍵照、貿易界からは日中貿易木造船全国会議議長原告森谷新一、水産界からは日中漁業懇談会事務局長原告田口新治がそれぞれ代表に推薦されたので、協会は同月十四日緊急常任理事会を開き、協会の事務局長原告小沢正元を平和友好団体代表として附加した上、以上の十五名に慶祝国民使節として国慶節祝典に参列し、兼ねて中国の実情を視察することを委嘱し、同月十七日和平委に対して右十五名の氏名及び略歴を通告し、あわせてその旅費の保証を依頼する旨の電報を送り、同月二十日和平委から、右十五名の来訪を心から歓びその入国許可の手続をとつたから、その許可のあり次第右十五名の渡航費及び滞在費は一切中国側で負担するとの返電を受けた。

二、以上の経緯により原告らは国慶節祝典参列及び中国の国情視察のために中国に渡航すべく準備を進め、同月二十一日時の外務大臣岡崎勝男に対して「和平委からの招待による国慶節祝典参列及び中国の国情視察のための中国行一般旅券」の発給申請書を提出し、その後外務省当局に対し以上の経緯を述べ種々折衝を重ね旅券の発給を要請したが、これに対して外務大臣は、原告らが旅券法第十三条第一項第五号所定の「外務大臣において著しく且つ直接に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当するとの理由で、同号の規定に基き原告らには旅券の発給をしないと決定し、同年十月二十四日その旨を書面で原告らに通知した。

三、しかしながら、原告については、次の理由により、「外務大臣において著しく且つ直接に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由」があるとはいえないのであつて、本件旅券発給拒否処分は違法である。

(一)  まず旅券法第十三条第一項第五号の規定は旅券発給申請者個人についての個別的欠格条件を定めたものであるから同号にいわゆる「外務大臣において、著しく且つ直接に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由」の有無は旅券発給申請者自身の地位、人格及び渡航の意図の如何によつてのみ定められなければならない。詳言すれば、同号の規定は日本国民全般に共通して適用されるべき国策上の利害を考慮して旅券の発給をしないことができる旨を定めたものではなく、たとえ我が国民が他国に渡航することによつて著しく且つ直接に日本国の利益が害される結果の発生するおそれがあると認められるような国際情勢の下においても、このような国際情勢の存在を理由として、その地位、人格及び意図について何ら非難を加えるところのない旅券発給申請者に対して同号の規定により旅券の発給を拒否することは許されないのであつて、この規定の対象は常に旅券発給申請者自身の地位、人格及び渡航の意図の如何に向けられているのである。ところで、原告らはそれぞれ前記のとおりの社会的地位を有し、いずれもその人格について何ら非難を加えられるところのない模範的な日本国民であり、本件渡航申請については我が国と中国との友好関係の推進を心から希求し、その国慶節を祝福し、兼ねて中国の実情を視察し、我が国の発展繁栄のための参考知識を得ようとの目的以外には全然他意はなかつたのであるから、原告らの渡航によつて我が国の利益が害されるかも知れないとの懸念は全然なかつたものというべきである。すなわち、原告らは旅券法第十三条第一項第五号に該当するものではなかつたのであつて、本件旅券発給拒否処分は違法である。

(二)  のみならず、日本国民全般に共通する立場から考えて見ても、我が国と中国とは、その歴史的背景及び地理的環境上、政治、経済、文化等社会生活の全域にわたつて相互に緊密な友好親善関係を結ばなければならない立場にあるのであつて、日本国民がかような関係にある中国の国慶節を祝福し、且つ中国各地を歴訪することは、我が国の将来に寄与貢献するものでこそあれ、我が国の利益を害する結果を招くおそれのあろう筈はない。もつとも、我が国は昭和二十七年いわゆる自由主義国家群との間でサンフランシスコ平和条約を結び、同時にアメリカ合衆国(以下「米国」と略称する。)と安全保障条約及び同条約第三条に基く行政協定を取り交しているのであるが、これらの自由主義国家群は、いわゆる共産主義国家群に属する中国に対して好意的な態度をとつておらず、特に米国はその対日政策として我が国と中国との接近を嫌つていると見られる節もないではない。しかし、我が国民も中国国民も共々に相互の平和と友好とを心から希求しているのであり、且つ我が国は既に自主独立の国家たる地位を回復したのであるから、外務省当局としては、我が国民全体の要望に基き、中国との友好関係を推進すべく自主的な努力を払う責務を有するものというべきである。単に対米関係えの影響をおそれて我が国民と中国国民との平和的交通を妨げようとするが如きは我が国の利益を図るゆえんではない。なお中国と我が国との間は今なお正常な国交が開かれていない状態ではあるけれども、我が国との国交が開かれていない国は世界に数多く存在し、しかもこれらの国々えの旅券が発給された前例は多数あるのであるから、単に国交が未回復であるということだけで中国えの渡航が我が国の利益を害する結果を招くおそれがあるということのできないことは勿論であり、中国えの渡航が我が国の利益を害することとなるおそれがあるかどうかは我が国と中国との関係が実質的に険悪であるか、又は友好的であるかによつて定められなければならない。そして、中国国民は、我が国民と同じく、両国の親善を心から要望し、その国交を回復すべく真剣な努力を払つているのであつて、両国間の関係には非友好的な空気は全然存在しない。又、仮に両国間の関係が非友好的であるとしても、その原因は、我が国政府が両国民の友情と努力とを無視、妨害し、単に我が国と中国とが国家組織を異にしていることを口実として、中国との平和友好関係を結ぼうとしないのみならず、我が国民の間に中国に対する敵がい心を流布し、且つ両国間の関係が非友好的であるのは中国側の責任であるかの如き宣伝を行つて来たことにあるから、外務大臣が両国間の関係が非友好的であることを理由として、両国民の親交に妨害を加えることのできないことはいうまでもあるまい。

(三)  前段所論のことがらは次の二つの事実によつてもこれを実証することができる。その一は、本件渡航申請と同じ時期の昭和二十八年七月二十九日衆議院で日中貿易促進決議案が可決され、更に、この決議に基き国会議員を中心として総員二十四名の中国通商視察議員団(団長訴外池田正之輔)が作られ、外務大臣から公用旅券の発給を受けた上同年九月二十八日中国に向つて出発、国慶節祝典に参列し中国各地を視察して来たことであり、その二は、原告小沢正元が翌昭和二十九年本件渡航申請と同一の趣旨で中国行一般旅券の発給を申請したのに対して旅券が下附され、中国を訪問することができたことである。もちろん、中国通商視察議員団の中国訪問は国権の最高機関である衆議院が決議をしたのであるから、外務大臣はその決議を尊重し、国の用務のための旅行と認めて公用旅券を発給したものというべきであろう。しかしそれならば、外務大臣が原告らの本件渡航は国の利益、特に対米友好関係の維持促進に著しく且つ直接な支障を来たすおそれがあるとの理由で旅券を発給しなかつたというのは筋が通らないのではあるまいか。一般に我が国民が中国に渡航することが我が国の利益を害するというのならば、原告らのような一般民間人がいわゆる国民外交使節として中国を訪問することと、国会議員という国政の要職にあるものが対中国貿易促進の目的を兼ねて国慶節祝典に参列し中国各地を歴訪することとを比較して見て、そのいずれの影響が大きいかはいわずして明かであろう。又もし前記衆議院の決議は国権の最高機関の決議として尊重されなければならないというのであれば、その決議は中国との善隣関係の促進を国是として決定し、我が国が中国と友好関係を結び平和的交通を確保することこそ、我が国の利益となると認めたのにほかならないから、原告らの本件渡航申請はまさにこの衆議院の意思と合致したものであつて、これが我が国の利益に反するとの非難をうけるべき根拠は全くないものというべきである。元来、中国通商視察議員団の渡航目的と原告らの渡航目的とは全然差異はなかつた。すなわち、議員団も原告らと同様国慶節祝典えの参列を目的の一として中国に渡航したのであつて、外務省当局も旅券発給に当りこのことを了承しこれに間に合うように旅券を下附したものであり、原告らに対しても、議員団が国慶節祝典に参列するのだからそれで原告らの渡航目的の一半は達成される故我慢して貰いたいと述べたのである。しかも議員団の目的とした日中貿易の促進と原告らの目的たる日中友好関係の推進とは同一のことを表現を変えただけに過ぎない。貿易の促進は親密な友好関係の基盤に立つて始めて達成しうることであり、親善関係と貿易とは全然別個であるというが如きは現在の国際取引の実態を無視した抽象的形式的なき弁ないし欺まんであつてとるに足らない。次に原告小沢正元が昭和二十九年中国行旅券の発給を受けたことについては、本件渡航申請の時からそれまでの間の一年間に中国との友好関係が多少好転したというような情勢の変化はあつたかも知れないが、それは中国側が従前から引き続いて我が国との親善関係の発展に尽力し、且つ我が国の世論も高まつて来た結果、我が国政府がやむなくこれに順応したことによるものにほかならず、情勢の変化とは結局我が国政府の態度が軟化したことを示すものに過ぎないから、本件旅券発給拒否処分当時も昭和二十九年当時も客観的な情況には著しい差異は認められない。以上のとおりであるから、結局原告らの本件渡航は、客観的には、我が国の利益を害するおそれがあるとは全然認められず、かえつて我が国の利益となるべきものであつたというべきであるから、本件旅券発給拒否処分は違法である。

四、仮に原告らが旅券法第十三条第一項第五号所定の者に該当するとしても、右規定は日本国憲法(以下「憲法」と略称する。)の条規に反する無効の規定であるから、本件旅券発給拒否処分は結局憲法の条規に反する処分であつて違法である。すなわち、憲法はその前文において「日本国民は恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において名誉ある地位を占めたいと思う。」と述べて国際的善隣関係の維持、促進を我が国の基本原則として掲げ、これに対応して、我が国民の外国に渡航する自由はこれを侵すことができない旨をその第二十二条において宣言し、且つ、その第十三条では、我が国民の自由は公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最も尊重されなければならないことを定めている。しかして旅券法第十三条第一項第五号、第二項は、外務大臣が一般旅券の発給の申請を受けたときにあらかじめ法務大臣と協議の上、申請者が著しく且つ直接に我が国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者に当ると判断した場合には旅券の発給をしないことができると定めているが、その規定の仕方は抽象的に過ぎ、その内容は甚だ漠然としており、この規定により旅券発給拒否の客観的標準を立てることは困難である。従つてかような規定の下では外務大臣が一般旅券の発給の申請を受けた際自己のし意によつて申請者がその規定に該当するとの一方的な認定を下した場合でも、旅券法を忠実に遵守したといわれればそれまでとなるが如き対策の生ずるおそれが濃厚であるといわなければならない。かような規定の存在する限り、外務大臣はこれを政治的に悪用する危険があり、かゝる危険の発生をあらかじめ防止することは殆ど不可能に近いから、国民の渡航の自由は、いつ外務大臣のし意によつて侵害されるかも知れないという危険に絶えずさらされているというも過言ではあるまい。しからば右規定においては国民の渡航の自由は尊重されておらず、従つて右規定は憲法の条規に反する無効の規定というよりほかはない。よつてたとえかかる規定が存在するとはいえ、外務大臣は憲法を尊重し擁護する義務があるのであるから、国民の渡航の自由を尊重し、旅券法の右規定によつて旅券の発給を拒否するが如きことのないように取り計らうべきであるのに、本件旅券発給拒否処分は右規定に基いて行われたものであるから違法な処分である。

五、これを要するに、本件旅券発給拒否処分は、以上いずれの理由によるにもせよ、違法の処分といわなければならないが、外務大臣はその違法の処分であることを認識しながらこれを行つたものであり、仮にそうでないとしても、これが違法の処分であることを看過した点において職務上の注意義務を怠つたものであるから過失の責に任ずべきである。

(一)  本件渡航申請は前述のとおり我が国と中国との友好関係を推進するとともに世界各国の親善を計ろうとの念願に出た人類最高の要求であり、これが世界平和を希求する崇高な努力の現われであることは客観的に明白であつて、何人も異論をさし挾む余地はないであろう。そして、外務大臣は本件渡航申請を受理した際原告らからその渡航の目的、原告らの人格等について種々説明を受けたのであるから、本件渡航申請は、我が国の利益を害するおそれがあるというような口実でこれを拒否できるものではないことを十分承知していた筈である。従つて、外務大臣が本件旅券発給拒否処分をしたのは、我が国民多数の要望を無視し故意に旅券法及び憲法の規定を曲解し、強引に旅券法第十三条第一項第五号を適用したものというべきであり、外務大臣のこの故意による責任は単なる政治的見解ないし立場の相異というような一片のとん辞によつて回避されうるものではないのである。

(二)  仮に外務大臣が何ら悪意をもたず為政者としての確信に基いて本件旅券発給拒否処分を行つたものであるとしても、前述のとおり国権の最高機関である衆議院の意思を尊重して中国通商視察議員団の中国行渡航に対して旅券が下附されたという状況の下で本件渡航申請を拒否したことは何人の眼にも正しくない態度であることが明かであつて、外務大臣の右確信は不当な確信である。故に外務大臣はこの不当な確信に基き本件旅券発給拒否処分をした点において過失の責を免れることはできない。

(三)  仮に以上の主張がいれられないとしても、本件旅券発給拒否処分の違法であることが前述のとおりである以上、国家公務員たる地位にある者が違法な処分をしたときには一般的にその故意又は過失が推定されるのであるから(憲法第十三条、第九十九条、第十五条第二項、国家公務員法第一条、第八十二条等参照)、本件についても、外務大臣にその故意又は過失が推定さるべきである。本件のような場合に注意さるべきことは、外務大臣として最善をつくしたものであるとか、その主観的意図は善良であるとか、その立場又は能力その他当時の情勢等を考えれば外務大臣の本件旅券発給拒否処分はやむをえないものと認められるとかいう論理によつて外務大臣の故意又は過失を否定するとするならば、憲法及び国家賠償法において認められた、公務員の不法行為による私人の損害賠償請求権はあつてなきに等しいこととなるであろうということである。それ故本件においては、憲法第四十条及び刑事補償法においていわゆる無過失損害賠償責任が認められている趣旨に鑑みて、憲法及び国家賠償法の規定は人権擁護という民主的基本原則に従つて正しく運用されなければならず、外務大臣について主観的意図が善意である等の理由によつてその故意又は過失を否定することは許されないものというべきである。

六、外務大臣は国の公権力の行使に当る公務員であり、且つ本件旅券発給拒否処分は、外務大臣がその職務を行うについて故意又は過失によつて行つた違法な処分であるから、被告はこの処分により原告らが被つた精神的苦痛に対する慰しや料を支払うべき責任があるものである。

七、原告らは、いずれも、本件渡航申請が拒否されようとは毛頭考えず、渡航の手筈を整え、外務省当局にも誠意をもつて熱心に交渉を続けて来たのであつて、その申請が先に指摘した原告らを侮辱するような理由によつて拒否され関係者一同の期待にそうことができなくなつたことによる原告らの失望の念、憤激の情は甚大であり、この精神的苦痛を金銭に見積るときにはそれぞれ少くとも金五万円に達する。

八、以上の次第で原告らはそれぞれ被告に対して金五万円及びこれに対する訴状送達の翌日である昭和二十九年三月十九日からその支払のすむまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるものである。

第三、被告の主張

一、原告ら主張の第一項の事実のうち、昭和二十八年十月一日から北京で国慶節祝典が開催されたこと及び原告らがそれぞれその主張のとおりの社会的地位を有するものであることは認めるが、その他は知らない。

二、同第二項の事実は認める。

三、同第三項の主張に対しては次のとおり主張する。

(一)  旅券法第十三条第一項第五号の規定は単に旅券発給申請者個人についての個別的欠格条件を定めたにとどまるものではなく、又旅券の発給をするかしないかということは単に旅券発給申請者自身の地位、人格ないし渡航の意図のみに基いて決定されなければならない旨を定めたものでもない。右規定は一般に日本国民が他国に渡航することそれ自体において著しく且つ直接に我が国の利益を害する結果の生ずるおそれがあると認められる場合には、旅券発給申請者自身の地位、人格及び渡航の意図の如何にかかわらず、旅券の発給をしないことができる旨を定めた規定である。従つて、原告らがいずれもその人格について何ら非難を加えられることのない模範的な日本国民であること及び本件渡航申請については我が国と中国との友好関係の推進を心から希求し、その国慶節を祝福し、兼ねて中国の実情を視察し我が国の発展繁栄のための参考知識を取得しようとの目的以外には全然他意のなかつたことはこれを認めるが、単にそれだけの理由で直ちに本件旅券発給拒否処分が違法であるとは断定できないのであつて、我が国民が中国に渡航することそれ自体が著しく且つ直接に我が国の利益を害するおそれがあると認められる以上、原告らは旅券法第十三条第一項第五号所定の者に該当するものといわなければならない。

(二)  そこで本件渡航申請当時において我が国民の中国渡航が我が国の利益に如何なる影響を及ぼすものであつたかについて考えて見るに、中国政府はかつてその領土を支配していた蒋介石政権(以下「国民政府」と呼称する。)を駆逐して現在の地位を占めるに至つたのである。我が国は、事実上台湾のみを支配するに過ぎない国民政府を含めたいわゆる自由主義国家群との間でサンフランシスコ講和条約を結んだけれども、中国を含むいわゆる共産主義国家群との間では未だに講和条約も成立せず、サンフランシスコ講和条約の調印以来、我が国はいわゆる自由主義陣営の一員として、米、英その他の自由主義国家と緊密な協力関係を結び、それとの友好親善を促進するとともに、国の安全については米国の軍事力に頼ることとすることを最高方針として採用し、その結果米国との間で安全保障条約を結んだのであつて、このことは国権の最高機関たる国会の決定に基くものである。しかるに、中国は共産主義陣営の一環として自由主義義国家群との間では友好的とはいゝえない関係にあり、殊に本件渡航申請当時にあつては朝鮮の戦乱が収まつてから日も浅く、中国と自由主義国家群との間には未だ緊迫した空気が漂つていたばかりでなく、中国は国民政府とは今なお戦火を交えている一方、我が国に対しても、昭和二十五年ソヴイエト社会主義共和国連邦(以下「ソ連」と略称する。)との間に結んだ友好同盟及び相互援助に関する条約において、中国とソ連とが「日本帝国主義の復活及び日本国の侵害又は侵略行為について何らかの形式で日本国と連合する他の国の侵略の繰返しを共同で防止する決意」をもつていることを宣言して、我が国を仮装敵国視する態度を明かにし、その結果我が国と中国との間では国交すらも開かれず、又中国の領度にはなお多数の我が国民が帰国の希望をもちながらも残留を余儀なくされている状態である。これは中国政府が帰国の許可を与えず又は積極的に送還対策を講じないことによるものであるが、更に多数の我が国漁船は中国政府により、マツクアーサーラインの越境、スパイ容疑等の口実の下に不法にだ捕抑留されているのであつて、我が国と中国との関係は非友好的な空気に包まれているのである。そうすると渡航者の人格地位及び渡航の意図の如何にかかわらず、一般に我が国民が中国に渡航することは、一面においては、我が国がこれまで協力関係を結んで来た米国等の自由主義諸国に対して、我が国が共産主義陣営とも連けいないし友好を希望しているかの如き疑惑と不信とを与えてこの協力関係にひびを入らせて国交上好ましからざる事態を生ぜめしるおそれが濃厚であり、他面においては、我が国民をして我が国と共産主義諸国との間に友好関係が確立されたかの如き幻想を抱かしめ、中国が我が国を仮装敵国視している冷厳な現実をこ塗するに至るものというべきである。のみならず、共産主義諸国えの渡航者は共産主義陣営の宣伝のために利用されることになる場合が多いのであつて、渡航先が中国である場合もその例にもれず、渡航者が中国からの帰国談として中国の真相を伝えることなく、ただその表面的美点のみを伝え、その結果我が国民が中国側の宜伝に踊らされ国論の統一が乱される結果の生ずるおそれは濃厚であるといわなければならない。これを要するに、本件渡航申請当時にあつては、一般に我が国民が中国に渡航することそれ自体において著しく且つ直接に我が国の利益を害する結果の生ずるおそれがあると認めるに足りる相当の理由があつたものというべく、従つて原告らは本件渡航申請の際には著しく且つ直接に我が国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者に該当していたものとしなければならないのであつて、本件旅券発給拒否処分には少しも違法の点はない。

(三)  本件渡航申請と時を同じくして衆議院で日中貿易促進決議案が可決され、更にこの決議に基き中国通商視察議員団が中国を訪問したこと及び原告小沢正元が昭和二十九年本件渡航申請と同一の趣旨で中国行一般旅券の発給を申請したのに対して旅券が下附されたことは原告らの主張するとおりであるが、これらの事実は本件旅券発給拒否処分が適法であるかどうかの問題とは何ら関係のないことがらである。すなわち、前者については、昭和二十八年七月二十九日衆議院本会議で日中貿易促進決議案が可決され、且つ院議をもつて中国通商視察議員団の渡航派遣が決定されたので、外務大臣は国権の最高機関である衆議院の決議を尊重し、且つ中国との貿易の再開についての時代的要請ないし世論を考慮した上、議員団の中国訪問を国の用務のための旅行と認めて公用旅券を発給したのである。この議員団の渡航について国慶節祝典えの参列がその目的の一つとなつており、外務省当局が旅券の発給に当りこのことを了承しその祝典参列に間に合うように旅券を下附し、議員団が同年九月二十八日中国に向つて出発国慶節祝典に参列し中国各地を視察して来たことは原告らの主張するとおりである。しかしこのことは、我が国民一般に対して中国えの渡航を認めるべきではないということとは何ら矛盾しない。けだし、一般国民の中国渡航が認められないような状態にあるからこそ、これを打開し、国交及び貿易の再開又は抑留邦人の引揚交渉をまとめるために議員団が中国に赴いたのであつて、議員団の渡航は一般国民の渡航が可能となるような状態を醸成するための前提であつて、議員団の渡航と原告ら一般民間人の渡航とは全然その性質を異にし、本件旅券発給拒否処分について公権の濫用とか不公平な措置とかの非難を加えることはできないからである。次に、原告小沢正元に対して昭和二十九年旅券が下附されたことは原告らの主張するとおりであるけれども、その当時は、ジユネーヴ会議の開催、共産主義陣営からのいわゆる平和攻勢によつて、全般的に国際的緊張が緩和され、特に中国と我が国との間では貿易の拡大、中国在留邦人の引揚の順調な進ちよく等によつて相当友好的なふん囲気が醸成され、中国赤十字代表を我が国に招待するようになるほど情勢が好転していたのであつて、右旅券の下附と本件旅券発給拒否処分とは全くその国際的基盤を異にするのであるから、前者の事実をもつて後者の適法性を左右する根拠とすることはできないものというべきである。

四、同第四項の主張に対しては次のとおり主張する。

我が国民の外国に渡航する自由が基本的人権の一として憲法第二十二条において認められていることは勿論であるが、基本的人権といえども公共の福祉の立場からその行使が制限されるものであることは憲法第十二条によつて明かであり、旅券法第十三条はまさにこの公共の福祉の立場から渡航の自由に制限を加えるものにほかならないから、この規定は何ら憲法の条規に反するものではない。従つて本券旅券発給拒否処分についても違憲の節は全然ない。

五、同第五項の主張に対しては次のとおり主張する。

仮に本件旅券発給拒否処分が違法であるとしても、外務大臣には原告ら主張のような故意、過失はない。すなわち、本件旅券発給拒否処分が違法であるか否かの判断は極めて微妙であり、結局は見解の相違に帰着するというよりほかはないのであつて、かゝる案件についての外務大臣の判断に対して故意、過失を云々することは到底できないところである。外務大臣は本件渡航申請を受理した際、一方においては、原告らからその渡航の目的、原告らの人格等について種々説明を聴取したのであるが、他方又そのつくすべき注意をつくして慎重に国際情勢や我が国の現況を考慮し、特に本件とほゞ同一の案件と目さるべき、訴外松本治一郎に対する昭和二十七年九月十九日、訴外宮腰喜助及び帆足計に対する同年三月十五日の各旅券発給拒否処分について東京地方裁判所がした判決(前者については昭和二十七年(行)第一四九号事件、同年九月二十七日云渡、後者については同年(ワ)第二八七九号事件、昭和二十八年七月十五日云渡)において外務大臣の処分が適法であると認められた趣旨を参しやくした上、あくまで、適法且つ正当な措置であるとの確信に基いて本件旅券発給拒否処分をしたものであるから、外務大臣がこれを違法と知りつゝ、又は知ることができたのに看過して旅券を発給しなかつたものと断ずることはできない。

六、同第六項の主張のうち、外務大臣が国の公権力の行使に当る公務員であること及び本件旅券発給拒否処分が外務大臣においてその職務の執行としてした処分であることは認めるが、その他は争う。

七、同第七項の事実のうち、原告らが外務省当局に対して旅券発給方の交渉を続けたことは認めるが、その他は否認する。

八、以上の次第で原告らの請求は理由がない。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、原告らが昭和二十八年九月二十一日時の外務大臣岡崎勝男に対して「和平委からの招待による国慶節祝典参列及び中国の国情視察のための中国行一般旅券」の発給を申請したところ、これに対して外務大臣が法務大臣と協議の上原告らはいずれも旅券法第十三条第一項第五号所定の「著しく且つ直接に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当すると認定し、同号の規定に基き原告らには旅券の発給をしないと決定し、同年十月二十四日その旨を書面で原告らに通知したことは当事者間に争がない。

二、思うに、旅券発給申請者が「著しく且つ直接に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当するかどうかの審査には高度の政治的感覚が必要である。しかるに、裁判所は国政殊に被告が本件で問題としている外交について責任のある地位に立つものではなく、又裁判所の証拠調では国政や外交に関する諸情勢の判断、分析の資料のしゆう集が不十分となるおそれもなしとしない。従つて、その審査に当つては、裁判所はもとより己の地位と能力とを忘れるべきではないが、なお外務大臣の前記処分について客観的立場からその適法なりや否やの判断をする憲法上の職責を有するのである。よつて、以下原告らが「著しく且つ直接に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」といえるかどうかについて判断する。

三、まず旅券法第十三条第一項第五号の規定が旅券発給申請者についてその個別的欠格条件を定めたものであることは法文の用語から見て明白である。従つて、一般に我が国民が他国に渡航すること自体が著しく且つ直接に我が国の利益を害する結果を生ずるおそれがあるとして一切の旅券発給申請者に対し旅券の発給を拒否することは、許されないものといわなければならない。原告らは、このことからして直ちに旅券発給の許否はその申請者の地位、人格及び渡航の意図のみの審査によつて決せられるべきものであると主張するが当裁判所はこの見解には賛成することができない。もとより、旅券発給の審査には、申請者の地位、人格及び渡航の意図がその重要な対象となることはいうまでもないが、渡航者が外国に渡航することが我が国の利益となると考え或は我が国の利益を害しないと考えても、その認識が誤つていて、渡航者の行為が客観的に我が国の利益を害する場合があり得ることは否定できない事実である。従つて、審査に当つては渡航者の認識が正しいかどうか、いいかえれば渡航者の渡航が国の利益に如何なる影響を及ぼすかを客観的に考察する必要があることになる。それ故、旅券法の前記規定を適用するに当つては、旅券発給申請者の地位、人格及び渡航の意図等その主観的条件を審査するとともに、あわせてその渡航が我が国の利益に如何なる影響を及ぼすかということを個別的に審査すべきものと解するのが相当である。

四、そこで、本件について考えてみるに原告らがその主張のとおりの社会的地位を有し、いずれもその人格について何ら非難を加えられることのない模範的な日本国民であり、且つ本件渡航について、我が国の利益を害する行為を行う意図をもつておらず、又そのような結果を生ぜしめるような人格の持主でもないことは被告の争わないところであり、更に、原告らが本件渡航申請に際して、我が国と中国との友好関係の推進を心から希求し、その国慶節を祝福し、兼ねて中国の実情を視察して我が国の発展繁栄のための参考知識を得ようとの目的以外には全然他意をもつていなかつたことは、成立に争のない甲第一号証の一から六まで及び乙第七号証の一並及びに原告小沢正元本人尋問の結果と本件口頭弁論の全趣旨とによつて明かであるが、かような主観的条件だけでは原告らが旅券法第十三条第一項第五号に該当しないか否かは断定できないのであつて、更に原告らの中国渡航によつて原告らが考えていなかつた事態が発生しその結果我が国の利益が著しく且つ直接に害されるおそれがあるか否かについて考えて見なければならないのである。それ故、問題は、原告らの中国渡航が我が国の利益に如何なる影響を及ぼすおそれがあつたかということに移つて行く。

中国政府は、かつてその領土を支配していた国民政府を駆逐して現在の地位を占めるに至つたのであるが、我が国は事実上台湾のみを支配するに過ぎない国民政府を含むいわゆる自由主義諸国との間でサンフランシスコ講和条約を締結した。そして中国を含むいわゆる共産主義諸国との間では未だに講和条約も成立せず、我が国はサンフランシスコ講和条約の調印以来いわゆる自由主義陣営の一員として米国等の自由主義諸国と緊密な協力関係を結び、それとの友好関係を促進するとともに、国の安全については専ら米国の軍事力に頼ることとすることを最高方針として決定し、その結果米国との間で安全保障条約を結んだのであるが、この外交方針は国権の最高機関である国会の決定に基くものであつた。以上のことがらはすべて公知の事実である。

五、原告らは、如上の外交方針は当事者間に争のない昭和二十八年七月二十九日の衆議院における日中貿易促進決議案の可決によつて修正されたと主張するが、その見解は正当ではなかろう。けだし、成立に争のない乙第九号証によると右決議は、朝鮮動乱の際に自由主義陣営において共産陣営に対抗する方策の一としてとられていたところの我が国と中国との貿易の禁止又は制限の根拠が朝鮮休戦協定の調印によつて消滅したのであるから我が国経済再建のために進んで中国との貿易促進について有効適切な措置を講ずべきであることを宣言したものであることが明白であるが、右決議は前認定の基本的外交方針と矛じゆんするものではなく、むしろ従前の外交方針のわくのなかで可能な限り中国との貿易振興に努めようとする意思を宣明したものと考えるべきだからである。しかも、右決議は単に衆議院だけでの決議たるに過ぎず参議院ではこれについて何らの意思を表明していないのであるから、従前衆参両院の議決を経て成立した外交方針は日中貿易促進決議によつて変更を加えられたものではないというべきである。

六、我が国の外交方針が前認定のとおり決定されたことが果して我が国の利益となるものであるか、或はむしろ、中国と我が国とはその歴史的背景及び地理的環境により、政治、経済、文化等社会生活全域にわたつて相互に緊密な友好親善関係を結ばなければならない立場にあるのであるから、自由主義陣営からは多少の非難攻撃を受けることにはなつても、中国、従つてその属する共産主義陣営と手を握り緊密な友好関係を保持して行くことが我が国の将来にとつて望ましいことであるかは、人によつて見解の分れるところであり、その絶対的な当否の判定は歴史の審判にまつ以外にはない。しかし、かゝる問題は結局のところ国政を担当する立場にある者において解決すべきものであり、国政について責任のある地位にはない裁判所としては旅券法第十三条第一項第五号にいわゆる「著しく且つ直接に日本国の利益を害する」おそれの有無を考える場合においても、かような領域にまで立ち入つて判断することの許されないことは三権分立の原則からして当然のことであろう。裁判所は国会の承認を経た国の外交方針についてはそれを既定のものとして尊重し、「著しく且つ直接に日本国の利益を害する」おそれがあるかどうかについては、ただこの外交方針の運営に直接且つ著しい支障を生ずるおそれがあるかどうかを判断するにとゞめなければならないのである。

七、しからば、原告らの中国渡航は以上の外交方針の運営にどのような影響をもたらすものであつたのであろうか。中国が共産主義陣営の一環として自由主義諸国との間では決して友好的とはいえない関係にあり、殊に本件渡航申請当時朝鮮の戦火がやんでから日も浅く、中国と自由主義陣営との間には未だ緊迫した空気が漂つていたばかりでなく、中国は国民政府と今なお戦火を交えている一方、我が国に対しても昭和二十五年ソ連との間で結んだ友好同盟及び相互援助に関する条約において、中国とソ連とが「日本帝国主義の復活及び日本国の侵害又は侵略行為について何らかの形式で日本国と連合する他の国の侵略の繰返しを共同で防止する決意」をもつていることを宣言して我が国を仮装敵国視する態度を明かにし、且つ我が国と中国との間では国交すらも開かれておらず、又中国の領土にはなお多数の我が国民が帰国の希望をもちながらも残留を余儀なくされている状態であつたことは公知の事実であり、又原本の存在及び成立に争のない乙第二号証の二によると、中国在留の我が国民の帰国の希望がかなえられなかつたのは、中国政府に我が国政府が従来から残留邦人の返還を要求して来たのに対し何らの回答がなかつたことによるものであること並びに多数の我が国漁船及び漁民がマツクアーサーラインの越境、スパイ容疑等の名目の下に中国政府により不法にだ捕及び抑留されていたことを認めることができ、この認定に反する資料はない。

以上に認定したような我が国の外交方針及び国際情勢から考えると、原告らが中国を訪問することは好ましからざる現象ではあつたであろう。そして本件口頭弁論の全趣旨によると、外務大臣が本件旅券発給拒否処分をしたのも実は原告らの中国訪問が「好ましからざる現象」である点にあつたものではないかと推測される。

八、しかしながらここで注意しなければならないのは、外国に渡航しようとする者が外務大臣からの旅券の発給を受ける権利を有することは、憲法において国民の渡航の自由が保障されていることと表裏一体をなすものであり、旅券法第十三条第一項第五号の規定も、旅券の発給をするかしないかということは国民の基本的人権に関することがらであることに対応して、ただ旅券発給申請者の渡航によつて我が国の利益が著しく且つ直接に害されるおそれの濃厚な場合にのみ渡航の自由を制限し旅券の発給をしないことができると定めていることである(この制限が合意であるか違憲であるかについてはしばらく判断を控え、ここでは本件渡航申請がこの制限のわくに当るものであるかどうかについて考察しているのである。)。従つて、外務大臣は旅券発給の申請について、申請者の渡航が単に外交方針の運営上に好ましからざる影響があるというだけの理由で右規定に基き旅券の発給を拒否しうるものでないことはいうまでもないことであつて、外務大臣は、申請者の渡航によつて著しく且つ直接に我が国の利益が害されるおそれの濃厚である場合に限り右規定により旅券の発給を拒むことができるに過ぎない。そこで本件の主要な争点はどこまでも合理的に見て一応原告らの中国渡航、いわゆる「好ましからざる現象」が前記外交方針の運営に直接且つ著しい支障を生ずるおそれがあると認めるに足りる相当の理由があつたかどうかである。

九、繰り返すようであるが、原告らの中国渡航は、専ら、我が国と中国との友好関係の推進を心から希求し、その国慶節を祝福し、兼ねて中国の実情を視察して我が国の発展繁栄のための参考知識を得ようとの目的の下に企てられたものにほかならない。のみならず、本件渡航計画が原告ら主張のとおりの経緯によつて立てられ、中国側もこの計画について積極的関心を示し、原告らの訪問に対して大いに歓迎の意を示していたことは成立に争のない甲第一号証の一から三まで及び原告小沢正元本人尋問の結果によつて明かである。そこで一体、原告ら民間人がこのような趣旨の下に中国に渡航しその歓迎に応えることが、米国その他の自由主義諸国との協調関係にひゞを入らせることになるであろうか、自由主義諸国、特に米国が原告らが中国渡航を敢行しても依然として我が国に絶対の信頼を置き我が国に対する協力を惜しまなかつたであろうとは断言できないかも知れない。しかし、原告らの中国渡航によつて、著しく且つ直接に自由主義諸国との友好関係が破壊されるおそれが顕著であつたと認めることはそれと同様、否、それにも増して困難であろう。以上の見解に反する前示乙第二号証の二の記載は、にわかに信用し難く、ほかに当裁判所の見解を動かすに足る資料はない。又原告らの中国渡航によつて、我が国を含む自由主義陣営に対し決して友好的態度をとつているとはいえない共産主義諸国が我が国をその陣営に引込み、又は我が国の独立化を図るについての材料を入手する結果になるおそれがあつたと思われる節は見当らないし、仮にかようなおそれがあつたとしても、これをもつて我が国の立場上特に直接且つ著しい不利益の生ずるおそれがあつたとはいい難い。被告は、原告らの本件渡航申請をいれるときは、国内において国際的現実にそぐわない議論がふつとうし、殊に原告らの帰朝談も、これまでの共産主義諸国からの帰国者の談話と同様、その真相を伝えることを期待するのは困難であり、たゞその表面的美点のみを伝えることになる懸念が十分あり、その結果我が国民が共産主義陣営の宣伝に踊らされて国論の統一が乱されるおそれが顕著であつたと主張し、前示乙第二号証の二によると外務省当局の中には、中国えの渡航が許されるときは我が国民の間に共産主義諸国との間でも友好的親善関係が確立されたとの誤解が生じて冷厳な国際的現実がこ塗される結果になるかも知れないとの危ぐの念を抱いている者のあつたことが認められるけれども、かような物の見方に対しては世上に強い反対があり、我が国民は当時既にそれまでに行われた引揚邦人の帰国談によつて相当詳しく中国等の共産主義諸国の実情を知つており、改めて共産主義諸国からの帰朝者の談話によつてひどく惑わされるようなことはないであろうという見解もあつた(このことは公知の事実である。)のであり、他方証人須藤五郎の証言によると、原告らが中国を訪問しても、単にその美点のみを視察するにとゞまらず、その欠点をもし細には握することができたであろうと考えられ、この認定を覆えしうる証拠はないのであるから、原告らが共産主義陣営の宣伝の使徒となり国論の統一を乱すことになるかも知れないというような危ぐは実際にはき憂であつたというべきである。

これを要するに、原告らは、以上いずれの点から見ても「著しく旦つ直接に日本国の利益を害するおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」に該当していたとはいえない。

十、なお右の判断は次の事実によつてもこれを裏付けることができる。

すなわち、本件旅券発給拒否処分当時衆議院の決議に基き総員二十四名の日中貿易視察議員団が昭和二十八年九月二十八日中国に向け出発し、国慶節祝典に参加した上中国各地を視察して来たことは当事者間に争がなく、又証人須藤五郎の証言並びに原本の存在及び成立に争のない乙第八号証によると、議員団の中国訪問の目的は、第一は国慶節祝典えの参列であり、第二には貿易協定の締結であつたことが認められる。

ところで、既に国会議員たる国政の要職にある者が如上の目的で中国を訪問しているような状勢の下で、原告らのような一番民間人が前認定のような目的で中国に渡航することが我が国の利益を、著しく且つ直接に、害するおそれがあるというようなことは到底首こうできるものではない。被告は、議員の渡航と原告らの渡航とは全然その性質を異にすると主張するが、国の内外に対して投ずる波紋の点から考えれば、議員団の渡航の方がより大きな波紋を描くものであることは敢てぜい言を要しないであろう。議員団の渡航が、被告主張のとおり、一般民間人の渡航が可能となるような状態を醸成するための前提であるとしても、そのことから直ちに本件旅券発給拒否処分の当否の判断と議員団の渡航とを無関係とすることのできないことは上来の説明によつて自から了解さるべきである。

十一、以上の次第で本件渡航申請については外務大臣が原告らを旅券法第十三条第一項第五号所定の「著しく且つ直接に日本国の利益を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」として旅券の発給を拒否する余地は全然ないのであり、右規定を根拠として行われた本件旅券発給拒否処分は違法たるを免れない。よつて次に外務大臣に故意又は過失のあつたことが認められるか否かについて判断する。

外務大臣が本件渡航申請を受理した際原告らから本件渡航の目的原告らの人格等について種々説明を受けたこと及びその頃中国通商視察議員団の中国訪問に対してこれを国の用務のための旅行と認めて公用旅券を発給したことはいずれも当事者間に争がない、又原告小沢正元本人尋問の結果及び成立に争のない甲第一号証の二から七までによると、外務省当局が本件渡航申請につき原告らからの陳情に対して、我が国は自由主義諸国との協調を維持して行くべき立場にあるのであるから、これらの国々の意思に反して我が国民の中国渡航を許可することはできない故閣議の決定に基き我が国民に対しては人格の如何を問わず一切中国行一般旅券は発行できない旨を回答する一方、原告らの本件渡航は中国通商視察議員団の渡航とその根本の趣旨において一致していることを承認していたことを認めることができ、この認定に反する証拠は全然ない。しかも議員団の中国訪問と原告らの本件渡航とのいずれが国の内外に対する影響が甚大であるか、殊に自由主義諸国の意思に反することいずれが大であるかは健全な常識の持主であれば十分了解しうべきところであり、この点につき反証のない本件においては、外務大臣も、議員団の中国訪問が行われる以上、原告らの中国渡航については我が国の外交政策上多少好ましからざる点はあるにしても、それが著しく且つ直接に右外交方針の運営に支障を来たすおそれがあるとはいえないものであることを当然認識していたものというべきである。してみると、結局、外務大臣は自由主義諸国との協力を極度に慎重に考え、閣議決定を固執するの余り、原告らについては「著しく且つ直接に日本国の利益を害するおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある」とはいえないことを知りながら敢えて本件旅券発給拒否処分をしたものと推認するほかはない。被告は本件旅券発給拒否処分が違法であるか否かの判断は微妙であるからこれに対して外務大臣の故意過失を論ずることはできないと主張する。成程一般に「日本国の利益」が害されるおそれがあるかどうかは微妙な問題で軽々に論ずることはできないが、中国通商視察議員団が公然と中国を訪問しているような状態の下で原告らのような民間人の中国渡航によつて我が国の利益が、著しく且つ直接に、害されるおそれがあるものといえないことは前記のとおり明白であり、かかる明白な事理に反する本件旅券発給拒否処分について原告の如上の主張をいれることのできないことはいうまでもないことであろう。この点について被告の挙示する当裁判所の判決例は、その前提たる渡航の目的において渡航申請者の参加しようとした会議(アジア太平洋平和会議及び国際経済会議)の性格上、我が国の利益が害されるおそれがあるかも知れないとしたものであつて、本件の場合とは著しい相異があるのであるから、この判例を参照して外務大臣が本件旅券発給拒否処分は適法且つ正当な措置であるとの確信を抱くに至つたものとは到底考えられない。従つてこの判例を援用して外務大臣の故意過失を云々する被告の主張は失当である。

十二、しからば、本件旅券発給拒否処分は外務大臣の故意による違法の処分と認めるほかはないが、その処分は国の公権力の行使に当る公務員の職務の執行として行われたものであるから、被告はその処分によつて原告の被つた精神的苦痛に対する慰しや料支払の義務を有するものといわなければならない。

ところで、原告小沢正元本人尋問の結果及び前示甲第一号証の二から七までによると、原告らはいずれも本件渡航申請が正当な要求であることを確信し、渡航の手筈を整え外務省当局にも誠意をもつて熱心に交渉を続けたこと(原告らが外務省当局に対して旅券発給方の交渉を続けたことは当事者間に争がない。)及びこれが遂にいれられず関係者一同の期待にそうことができなくなつたため、原告らには失望憤激の情大なるものがあつたことを認めることができるから当裁判所は本件諸般の事情をしんしやくしてその精神的苦痛に対する慰しや料の額はそれぞれ金三万円を相当と考える。

十三、以上の次第であるから、原告らの本訴請求のうち被告に対しそれぞれ金三万円の慰しや料とこれに対する訴状送達の翌日であることが記録上明かな昭和二十九年三月十九日からその支払のすむまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当として認容し、その余は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十二条但書を適用して主文のとおり判決する。なお仮執行の宣言の申立については、その必要があるとは認められないからこれを却下する。

(裁判官 田中盈 古関敏正 山本卓)

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